仕事中心で何が悪い

お仕事していて気づいたことを書いていきます。エンタメ、技術、英語、経営のことをよく書きます。

30歳になったので,20代を振り返っておいた

2018年11月15日をもち、三十路の世界へ飛び込んだので、20歳〜29歳でなにがあったのか備忘録。白髪増えたなぁ。

 

20歳(2009年)...堕落した大学生活の中から学ぶ実学

筑波大学で大学3年生。モラトリアムを謳歌していました。テニス・遊び・バイトに明け暮れていました。堕落した生活をただひたすらに送っていたというのが間違いなく正しい表現です。この時は将来に対するビジョンもなにもなく、ただひたすらに遊んでいました。ただ、中学高校とあまり外に遊びに行かず、家でごろごろしていたぼくにとっては「遊ぶこと」自体が「大海を知る」ことになり、本当に身の肥やしになりました。

人生最大の失恋を経験したのもこの年でした。中高男子校6年のうぶなわたしには厳しい経験でした。でも今となっては良い思い出です。大学入学した時は知っている女性のメールアドレスは2つ(母・叔母)だけだったじぶん。懐かしいです。

また塾講師のアルバイトにも熱中していました。学園都市の子ども達は学者さんの子どもさんが多く、本当に賢く、するどい質問に冷や汗を何度もかきました。この時、「ぼくの脳みそのスペックってやっぱ凡人だなぁ」って素直に思いました。もちろん努力で様々な成果が変わっていくという思いはベースとしてありますが、自分自身の勉強のスペックは間違いなく凡人です。だって、一度教科書読んだら絶対忘れないとか絶対無理だもん。

 

21歳(2010年)...就職氷河期での就活経験、恩師との出会い

大学4年生。リーマンショックによる就職氷河期に出光興産という石油業を営む会社にありがたくも拾っていただきました。就活する時に「コンサルってかっこよっそうだなー」って思っていましたら、グローセンパートナーという人事コンサル会社を経営されている島森俊央さんとお話しする機会があり、「君の将来のことを考えるならコンサルだけは新卒でやめておけ」と言われましたが、当時はそのことばの意味がよくわかりませんでした。今となってはよくわかります。結局、その会話の中で興味を持った出光興産に落ち着きました。あと、ある業界の最大大手企業の最終面接で「父が会社を経営しています」と言った瞬間、面接担当の役員の目が変わり、速攻落とされたのも良い思い出です。本当のことを言うと世の中うまくいかないんだ、って学ぶました。

あと、大学時代を通じて「日本1周しよう!」と友達とこつこつ日本を回っていて、だいたい回れました。この時点で、回れなかった県は高知・島根・鳥取ぐらいだったかと思います。ただ、目標が「極力多くの県を回り、その土地土地の有名なところに行く」ってだけだったんで、例えば、長崎県でとても美しいハウステンボスに行って、本来、何時間も楽しめる施設にも関わらず30分で見終えたりしてましたね。とてもばかで楽しかった思い出です。

また、私が通っていた大学は4年生の時にどこかの研究室に所属しなければならず、住田潮教授という方の研究室に「なんとなくおもしろそうだから」という理由で入ったものの、研究には熱意を注がなかったのが正直なところ。その研究室は今まさにビジネスでホットな「ビッグデータ分析」とか「IoT」を研究していたので、いかに自分が最高の機会を取りこぼしていたか今となって痛感します。今、あの頃のぼくに何か言えるのなら「テレビでいいとも見てる暇あるんだったらとりあえず研究室行けよ」って言いたいです。そんなぼくも今、一緒にお仕事をさせていただいているのだから先生の懐の深さに驚くとともに、人の縁の大切さを痛感します。

また今の嫁さんとなる人とも付き合いはじめたのもこの頃です。いろいろ紆余曲折ありますが。

 

22歳(2011年)...3.11の経験、THEゆとりな新社会人生活

3.11を茨城県で経験しました。大学卒業間近での出来事で卒業式は中止となりました。出光興産の入社式では黙祷が捧げられました。新社会人では様々なところを転々としました。千葉・埼玉・茨城と住居を変え、石油業のイロハを学んでいきました。

千葉では出光興産の「中央訓練所」という場所でまさに軍隊のような教育を受けました。ガソリンスタンドスタッフとしての接客用語をみんなで「いらっしゃいませええ!!」って青空の下で叫ぶ訓練をして、ゆとり世代の我々はツボにはまって、おもしろくなってしまって途中で大笑いしてしまい、その訓練所の副所長に叱られたのも良い思い出です。ガソリンスタンドの作業オペレーションを完コピするという訓練もしましたが、同期の男同士で「裸でいかに股間を隠して作業オペレーションできるか」というのを夜な夜な競ったりしていました。あの中央訓練所は本当に青春でした。

また新社会人として初勤務であった埼玉県のガソリンスタンドでは「働くこと」の大切さを教えてもらうとともに、仕事仲間たちと徹夜で遊んだりしていました。徹夜でボウリングしてそのまま勤務を迎え、強面のガソリンスタンドの所長に「松田、てめぇ、へとへとじゃねぇか」と怒られたのは完全にぼくが悪かったです。ガソリンスタンドで働く仲間たちは本当に良い人ばかりで非常に親切に面倒を見てくださいました。純粋に「汗を流してお金を稼ぐ楽しさ」がわからせてくれました。ただ、そのスタンドは洗車に力を入れていて、夏場の炎天下で1日何台も洗車しないといけないのは本当にきつかった。何度も熱中症になりかけました。あとこの頃、なぜかあだ名が「ボブ」でした。ホストクラブを経営するお金持ちなのに、暇だからという理由でガソリンスタンドでバイトするお兄さんにつけられたあだ名でした。

その後、茨城での飛び込み営業を経験しました。その時は本当に心の腐った営業マンで、ノルマを達成した途端、仕事中に遊びに行く身の肥やしをしに行くというあるまじき行為をしていました。ただ、「はやくノルマを達成して遊ぼう身の肥やしをしよう!」という浅はかな動機で良い成績をおさめることができました。石油を売っていたのですが、途中から油を売っていました。ただ、あの飛び込み営業のおかげで「飛び込んでみる勇気」という心構えと「土足で他人の心に入るときにスキル」を学べたのは何事にも代えがたい経験です。一度、お菓子製造会社に飛び込みに行ったらいきなり副社長が出てきてぺーぺーの若造だとわかると「出光だから期待して会ってみたのにお前ダメじゃねぇか!」ってブチ切れられたのは今でも忘れません。「もう絶対あそこには訪問しない」と尻尾巻いていたら、数週間後に「逃げるんじゃねぇ」と電話がかかってきて、嫌々ながらお会いしに行ったら「よく来たな」と言われ、結局また散々怒られたんですが、「理不尽な目にあっても頑張って立ち向かえ」ということを今を思うと教えてくださったのだと思います。

あと、少しだけ製油所勤務も経験しました。人生初めての深夜勤務で眠くて眠くてしょうがなくて、製油所の監視カメラでは見れない隅のほうで寝ていたら先輩に怒られました。

 

23歳(2012年)...山形県で経営のいろはを学ぶ

仙台配属が決定して、ガソリンスタンド経営者の統括担当になりました。若手では唯一、「全県担当」という山形県全域の出光のガソリンスタンドを担当するというとてもやる気の出る仕事を任せていただきました。最初は山形弁がまったくわからず、外国で仕事をしているような状態でした。ただ、山形のガソリンスタンドの経営者さん方はとても温情熱く、厳しくも優しい方ばかりで、社会人経験も大してないペーペーのぼくにご丁寧に、ひとつひとつ「経営とは」「仕事とは」「生きていくとは」について教えてくださいました。あの経験は今でも活きています。感謝しつくせません。

あとその時に山形県の美味しいものを色々堪能しました。さくらんぼ、米沢牛、尾花沢スイカ、冷たい肉そば、純粋なおそば、はたはたなど美味しいものがたくさんあるし観光名所もたくさんあるので、山形県への旅行は本当におすすめです。

またこの時にお世話がかりをしてくれた田嶋佑樹さんという方には本当にお世話になりました。簿記2級を持っているのにまったく決算書の読めない自分に「あほだね」って言いながら決算書の読み方を教えてくださったり。お客様への言葉遣いがなってなくて会社の看板に泥を塗った自分の代わりに謝ってくださったり。仙台の夜の街で牛タンを奢ってくださり脂肪を蓄えさせてもらったり。今はどこにいるんでしょうか。お会いしたいです。

しかしこの年の夏、いきなり父から電話がかかってきて「タイに工場をつくるからお前愛知に戻ってこい」と言われ、喧嘩した挙句、結局仙台生活わずか数ヶ月で愛知に戻ることとなりました。出光興産には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、退職後にお世話になった人にお会いする機会があり、退職してからもずっと心配していてくださり、本当に良い会社に就職したんだなってその時実感しました。

 

24歳(2013年)...海外工場立ち上げで四苦八苦、最強番頭に支えられながら

タイでの工場立ち上げを経験しました。最初に赴任したのはわたしを含めて四人。そのうち二人がうつ病で帰国してしまい、わたしとわたしよりさらにひとつ歳の若い男二人で工場を立ち上げなければなりませんでした。経営・工場運営の全くわからないふたりで稼働させていたので、現場は殺気立ってたと思います。タイでふたりだけ残されたとき、相方の若者と「おれ間接部門全部見るから、現場部門全部見てよ」「オッケーっす」みたいな会話をタイの焼肉屋で話したのは今でもよく覚えています。ふたりとも経験は不足していましたが、圧倒的熱量は持っていたと思います。

工場の建設がみるみる遅延して、お客様のところに若者ふたりで謝りに行ったのも良い思い出です。コンクリートもひかれていない敷地で仕事をしていたため、毎日靴がどろどろでお客様に「松田さんがうちに来るとすぐわかるよ。だってうちの床が茶色に汚れるもの」って言われたのも良い思い出だし、申し訳ありませんでした。ただ、あれらの経験で、工場のすべてのプロセスを理解でき、経営者としてのファンダメンタルな勉強をじかにできたと思っています。おかげで多少大きなことが起きても動じなくなりました。正確には、動じなくなったというより、心の中で「こりゃやべーっ!」って思うんですが、周りの人を不安にさせてはいけないから「なんとかなるやろ」って顔をするようになりました。

あとずっとわたしのメンターとして支えてくれた番頭の蒔田一夫さんはわたしの先生であると同時に心の支えでした。常に初心者の私を支え続けてくださり、工場運営のすべての基礎をこの人から教えていただいたと言っても過言ではありません。腰が痛いのにも関わらず、エコノミークラスの飛行機に乗ってタイに来て、いろいろ教えてくれました。重役なんだからビジネスクラスを使えばいいのに「エコノミーでええ」って。みんなから尊敬されるのは当たり前でした。老眼で細かい文字が見えづらくなって虫眼鏡で設計図を見ている姿も印象的でした。途中、パソコンを使いpdfで設計図を拡大できることを知ると「これはええわ」とパソコンで分析してました。70歳になるまで勤めあげてくださいました。

またお客様にも大変お世話になりました。石油業から転職していきなりの立ち上げなので、なにもわからないわたしにひとつひとつ自動車部品の価格の成り立ちを教えてくださいました。あの頃、若くにして海外に赴任したお客様は30手前で、「少しちゃらそうな良いお兄さん」の感じで、仕事には本当に熱い方でした。何度も怖くて漏らしそうになったのを覚えていますが、とても優しい方でした。いつも優しい人って結局、偽善なんですよね。自分が可愛いから人によく思われたいがために怒れない。あの方は偽善ではなく純粋に心からぶつかってくださる方でした。こんな感じで過去形にすると亡くなられたようになってしまいますが、今も元気にお客様の会社に勤められていますし、定期的に近況をご報告差し上げたくなる方です。

 

25歳(2014年)...国を超えた信頼関係の構築、自分だけでは何もできないことの理解

タイ工場の社長になりました。タイでの相方だったもう一人の若手日本人が日系大手自動車メーカーに引き抜かれ、不正を犯したタイ人とも喧嘩して、日本本社の役員とも喧嘩しました。「ぼくの考えが間違っているのならぼくの根本がおかしいから会社辞めよう」と本気で思ったのがこの時です。ストレスで1日2時間くらいしか睡眠がとれていませんでした。結局、喧嘩したタイ人・日本役員ともに去っていきました。このとき支えてくれたタイ人には感謝しつくせません。あの時あのタイ人がいなかったらぼくのメンタルは崩壊していたと思います。国を超えてでも信頼関係は築けると教えてくれた年でした。また「すべては自分の責任として言い訳はしない」「自分一人では何にもできない」と心の底から思えるようになったのもこの年でした。

ちょうどその時、客先の大型新規プロジェクトをうちのタイ工場でいくつか立ち上げていたので毎週のようにうちのタイ工場に大企業の役員が監査に来ていました。このおかげで工場生産レベルが大幅にアップしたし、工場を上手に説明しながらご案内することもできるようになりました。その頃、客先の副社長をしていたOさんがタイに来るたびにうちに来てくれ、「前より良くなったなぁ!」って言ってもらえるのが本当に嬉しかったのを覚えています。正直、Oさんが来るまでは、来る役員さんに怒られてばかりだったのにOさんは違いました。Oさんは初めてうちに来た時「松田さん、工場の周りを一緒に歩こう」と言われ、「松田さん、工場の周りが汚いのはいかんよ、まずはそこからだ」と言い、決して怒ることなく、「ポイント教えるからあと細かいところは考えてやってみなさい」という親分的な指導ですっかりファンになりました。多分、工場のダメさに怒りたいのは山々だったのでしょうけど、ぐっと堪えて指導してくださったんでしょう。ぼくは「大企業の副社長だからさぞかし難しいことを指摘されるんだろうな」と思っていたのに、「外は綺麗にしないといかん」「壁際にモノが置いてあると汚く見える」というすごい基本的でわかりやすい指摘をしてくださりました。でもおっしゃられることは単純でも深いですよね。外にモノが置いてあるということは工場内にモノが溢れているからでそれを減らすためには生産プロセス自体を見直さないといけないという連続性を孕んでます。でも本当にあの人のおかげでぼくの工場管理の知識は深まりました。あの人が副社長になられた理由は実力もさることながら人心掌握術が抜群でした。厳しいことを仰られても、嫌味な感じは一切なく、本当に「一緒になって工場を育成していこう!」というオーラを感じました。

あと、この時にうちと同時期にタイ立ち上げを経験されたS社のお若い社長には工場が近いということもあり、毎日のように愚痴の聞き役になってもらっていました。ただ、ずっと聞いてくれていただけなんですが、いつも最後には「ゆうきさんが正しいと思ったことが正しいんだよ」って後押ししてくれました。愚痴を聞いてくれたのは本当に感謝です。

また、R社タイ法人で当時、社長をされていた方もまたわたしのメンターのような存在でした。わたしどもより1年早くタイでの立ち上げを経験されており、まさにタイでの経営のお手本のような方でした。お客様でありながら、どこか父親・お師匠のような関係を勝手に感じとっていました。伺った際にたまにごはんをご一緒していただいて仕事の話からプライベートの話まで本当におもしろかったです。「タイのこの島は本当に海が綺麗だからおすすめ」「列車に乗ってタイの北部まで行くのは良い」と仕事も一生懸命にプライベートも一生懸命にタイのすべてを満喫しているような方でした。

ちなみにぼくのタイでの相方であった人間は今でも仲良くさせてもらっていています。「自分は高卒だから日本で舐められないようにするためには大学院に行かなきゃ」と言って、学士を取得せずに有名大学MOT修士を取得したと聞いて、ハングリーさを驚愕したのと同時に、「あの時ぼくが引き止められなかったのはぼくが夢を語れなかったからだ」と思わされました。夢って言うことばはあまり好きじゃないですが(夢は所詮、夢のままだという思いがあります。大人なんだから今すぐやれよと。)、タイにいた頃は「社長の息子ってなんかカッコ悪い」って思ってました。だからしっかりしたビジョンも持てなかったんだと思います。ちなみに今はもう違います。かなり自分がみんなとやりたいことが明確になってきました。彼も今はさらに転職し、大手コンサル会社で元気に働いています。今でも良くしてくれる彼とは一生の縁でありたいものです。彼はいつも「だいたいの人が難しく考えすぎなんですよ。」と言っていたのですがその通りだと思います。本質は非常に簡単なんだけど、思考が深くできてないから分解できずに難しく見えるだけなんですよね。彼は天才肌だと思います。タイにいる時に「松田さんはボンボンでぼくは野生の中、育ってきて、そんな二人が一緒に対等に仕事してるっておもしろいっすよね」と言われて、人生っておもしろいなって思いました。今や最高の友達であり最高のライバルでもある彼には負けたくないですね。

 

26歳(2015年)...日本へ帰国といえどタイとのハイブリッド生活のはじまり、社長子息も辛い

日本の経営が危ういとのことで、タイからの強制とも言える帰国となりました。タイから去るときは本当に悲しかったです。去る頃には「このタイ工場で死ねれば本望」くらいに思えるようになっていました。ただ、結局、タイ工場創業者として引き継ぎが本当に大変で、月の半分はタイ、半分は日本というハイブリッド生活になってしまいました。というか創業者ともなると細かい感覚値のところも全部知っているから引き継ぎするのは本当に大変ですね。タイのスタッフが「ゆうきが常にいないと会社ぼろぼろだよ」って言われた時必要とされている点で少し嬉しく思ったのと同時に、「上手に引き継ぎできなかった」のは本当にぼくの責任だなって強く感じさせられました。

また日本に戻ってきて「日本のやらされ感満載の従業員」と「熱意を持って仕事に当たるタイ人」の差を見せつけられ、正直、言葉の壁があろうともタイ人のほうが優秀に思えて仕方がなかったのを覚えています。日本人の方が「わたしの仕事はここまで」と線引きしているような感じでした。中小企業とはいえ、大企業病っぽいのが出てるんでしょうね。純粋に仕事を楽しめなければ、どんなに賢くても良い仕事はできないんだろうなって思います。

「日本人なんだから東南アジアの人より良い給料もらって当然」という感覚が少なからず多くの日本人にはあると思います。ただ、そんな論理的でない思考は通用しないし、努力しなければ生産性は落ち続け、どこにも通用しない人間になってしまうんでしょうね。これは上からのもの言いかもしれませんが、ぼくが今まで一緒に仕事をして最高に良い生産性を保てたと思うのは生産管理部門長をしてくれたタイ人おじさんと営業購買部門をぼくと築き上げてくれたタイ人女子でした。残念ながら日本人ではありません。あの頃は完全に阿吽の呼吸でした。ぼくも彼らも2手3手先を見据えながら仕事するし、三人でシンクロしているような感じでした。もう会社を辞めてしまいましたが、今も連絡を取り合うし、いずれまた一緒に仕事をしたいなぁって心から思ってます。話は戻りますが、日本人の心のおごりは本当に気をつけないと危険だと思います。

また日本では直接わたしに喋ろうとしないとかも衝撃でした。あと、何を言っても「わかりました!」って同意されてしまう。わたしは当時、26歳の若者なんだから間違っていれば言えばいいのに、あとで訂正するの大変なんだからと思いました。まあ社長子息に喋りかけづらい・否定しづらいのはわかるけど露骨にされるとこっちも傷つきますよね。だからぼくはどんな偉い人と会っても、明らかに間違っていると思ったら「間違ってると思います」と面と向かって言うように努力してます。それで怒られるのなら相手の度量が狭いと思うようにしてます。怒るということはその時点で思考停止してるのではないでしょうか。

あと、日本で夜のお店の勉強という事でキャバクラとかクラブというところに初めて自分のお金で、夜の店には行き慣れている悪友と行きました。「はい、5万円です」と1-2時間しか滞在してないのに言われた時、手が震えたのを覚えています。しかし、そのおかげで接待ってこんな風にやるのかなってわかるようになりました。実際に名古屋の夜のお店でのルールがわかったのは非常に大きかったです。でも、個人的にお金を使うなら、美味しいご飯とか海外旅行とかに使いたいなぁ...。

 

27歳(2016年)...仕事を受注しすぎて現場崩壊、仕入先様の廃業に従事

なんせ日本本体が危うかったので、新規の仕事をとりまくりました。すると現場からは「もう無理だ」という声が聞こえてきましたが、それでも仕事を取り続けました。結局、「もう無理だ」ということばを聞いてから半年後くらいに仕事をとるのをやめましたが、「お前らのもう無理だはボーダーライン低すぎるねん」と思ったのが正直なところ。あの息子は後先考えず仕事をとってくると裏で言われていましたが、「じゃあぼくが戻ってくる今まで仕事もとらずに何しとったんや?遊んどったんか?」と正直、内心思っていました。「そのときは市場が冷え込んでて...」と言われても「営業の仕方が圧倒的に悪かった」と思わざる得ません。お客さんに頻繁に会いにもいかない営業部隊が可愛がられるわけもないですね。

あとこの時期から計3拠点の生産工場をたたみました(1つは弊社工場、2つは仕入先様)。今まで何十年にもわたる長く付き合ってくださった仕入先様を廃業に向かわせるのは本当に心苦しいことでした。廃業に持っていく中でいろんな問題が発生しますが、「今まで助けてくれた感謝」を忘れないように廃業しました。伊勢湾台風東海豪雨リーマンショックなど色々経験され乗り越えられてこられたのでしょうね。やはり時代を築き上げた人が引退していく姿というのは言葉では言い表せぬ「尊さ」を物語ってくれ、涙が溢れる想いでした。この時に廃業される社長さんから先先代(祖父)の話を聞いたのも良い思い出です。歴史の長さを感じました。

ついでですが、この年にお酒の美味しさがわかるようになってきました。日本に戻ってきた当初は接待でよく使っていたお店のオーナーが「悠揮くんはお酒弱いから」と言って、だれにもバレないように薄めのお酒を作って持ってきてくれていました。ぼくにとってお店の人とぼくとの阿吽の呼吸は本当に重要です。お酒の飲み過ぎはお酒の弱いぼくにとって致命傷です。しかしそんなオーナーのおかげでウイスキーという大人の飲み物の美味しさにも気づくことができました。日本酒/ビールはもともと好きですがウイスキーも好きになれて幅が広がって嬉しいです。あとは赤ワインがわかるようになりたいなぁ。

 

28歳(2017年)...慶応との産学連携、父との喧嘩、英語漬けの毎日、結婚、祖母の死

慶應義塾大学エグゼクティブMBAの授業の一環として弊社を取り扱っていただきました。ここの方々は本当に熱い方ばかりでわたしの悪いところに対してもしっかり教えてくださいました。父親が社長である組織に所属していると叱ってくれる方というのがほぼいないため、本当に良い経験でした。この教えのおかげで今があるのかもしれません。ただ、すごい人が集まっても多様性が失われる組織も起こりえるんだなと正直思ってしまったのもこれがきっかけでした。あと、ぼくの悩みはぼくにしか解決できないんだって思えたのもこの時でした。

あと父親との喧嘩もこの時からでした。「親父はなんにもわかってくれない」とこの時はずっと思っていましたが、それは甘えなんだなとわかりました。自分ができないことを父親に転化しているだけのことで、自分がやればいい話とわかりました。タイにいる時に私の尊敬する2代目経営者から「親父が嫌でしょうがなくなるときがあるよ、だって似てるからなに考えてるか全部わかっちゃうから」て言われたことがあるんですが、あの言葉が今になってはよくわかります。

あと、同業種で2代目経営者候補が集まる会があるのですが、参加してみたものの「おれはすごい感」満載の会で嫌気がさしました。我々はたまたま経営者の家族に生まれ、運良く経営に携わらせてもらっているのに、「おれはすごい」なんてちゃんちゃらおかしいやろ、と。裸の王様故にばか息子になってしまうんだなと思い、自分もそうならないようにしようと心にとどめました。社長子息は会社内ではみんなに間違っていても崇められる傾向にあり、裸の王様になりやすい環境でそれもどうかと思いますが、自分をしっかり謙虚に見つめることは本当に重要です。

あとこの年からInternational University of Japan(IUJ)という新潟にある大学院にMBAを学びに行きはじめました。MBAに惹かれたというよりかは英語ですべての授業が行われるし、学生の90%は外人でグローバルなネットワークが築けるというのに非常に感銘を受け、入学しました。実際、ここでの経験はなにごとにも耐え難いもので、この環境を作った中山素平という方の偉大さを噛み締めました。私自身、タイでの海外経験があるものの、これから経営者になるにあたり、英語が少しでも話せたり、グローバルに物事を述べれるようにならないと次の時代の歪みに埋もれてしまい、従業員を路頭に迷わせるという思いも強くありました。

あと、この年にせっせと大学の時に出会った方と結婚しました。せっせというと聞こえ悪いですが、ふたりでせっせと準備して結婚式をあげました。その後、嫁さんの最愛の御祖父様が亡くなられたので、最後に花嫁姿を見せてあげることができて本当に良かったです。

またこの年にわたしの母方の祖母が亡くなりました。大学院に行く前に何を思ったのか久しぶりに老人ホームにいる祖母のところに行ったんですよね。アルツハイマーで完全にぼくのことなんか覚えていなくて「どちら様?」って言われるんですけど、対応が常に上品なんですね。常に笑顔を振りまいてとても素敵なおばあちゃんだと思いました。ただ、昔のように「ゆうちゃん、よく来てれたねぇ」って言ってもらえないのかと思うと悲しかったですね。ただどんなにアルツハイマーで記憶を失っても自分の子どもであるぼくの母のことは覚えていたので、感慨深かったです。また、正直このときに「これが生前の会える最期の機会かもな」って思っていたので、葬儀の時は悲しいというよりは「今までありがとう」という気持ちでいっぱいでした。

 

29歳(2018年)...海外に行きまくる、アメリカ留学

IUJに入学してからというもの、普段の外国人のみなさんからの触れ合いはもとより、海外にもたくさん行き、知見を広めました。在学中に計16カ国(本12月に6カ国いく予定)、行くこととなります。例えば、シリコンバレーに行きました。実際にグーグル本社・スタートアップを見学させていただいたり、VCの方からいろいろ教えていただいたりと、働き方の違いや勢いの違いを実感させられました。また南アフリカに行ったりして、未だ根強く残る人種差別の存在を感じさせられたりしました。

あと、IUJで外国人の友人がたくさんできたのは本当に財産だと思っています。同じ寮に住み、24時間さまざまな国(50カ国以上!)の人と交わる。異文化交流って本当におもしろいし、さまざまなことを学びました。ここでできた友達といずれ一緒に仕事をするとかおもしろいことができれば幸せです。わたしがこの交流で一番好きだったのが、各国料理を持ち合わせて行う飲み会。日本酒とともに世界の料理が一夜に楽しめるというまさに夢のような環境でした。どこの大学に行ってもそんなことが簡単にできる環境は超稀でしょう。ちなみにぼくが舌バカだからかよくわかりませんが、日本酒はどの国の料理とも相性抜群です。

あとアメリカ留学を経験しました。ネイティブスピーカーだらけの授業にわたしの英語力ではまったくついていけないことが判明したので、これはこれで良い理解になりました。アメリカ人の優しさにも触れ、もっと英語がしゃべれるようになりたいなぁって素直に思えました。今後もずっと英語の勉強は続けていきます。

 

総評...仕事中心で何が悪い。良いご縁に感謝。

20代は仕事中心で回っていました。あと若い頃は苦労は買ってでもしろと言われますが、勝手に流れるままに苦労を買わされていたという点では機会・人の縁に本当に感謝と言わざるを得ません。実際に振り返ってみると人に助けられ、今の自分があるのだと思います。30代も仕事中心で生きていくし、死ぬまで仕事中心で生きていければ本望だと思います。大学教授の落合陽一氏が「ワークアズライフ」だと述べていますが、それは正しいと思います。仕事とプライベートを区別するからストレスが溜まるんだと思います。

これから数年で取り組むこととしては「事業の大幅な変革」/「後継者としての準備」/「新規事業をしながらの胆力の育成」だと思っています。事業の大幅な変革は恩師であり、今はビジネスパートナーである住田潮さん(先生とお呼びしたいですが、仕事がら対等でやらせていただければ...と)と父親との強烈タッグを組んで成し遂げたい。後継者としてはみなさま(社員/客先/仕入先etc)から「子息だから社長になった」ではなく、「彼こそが総合能力として適切」であると言われる人間でありたいです。もし私よりふさわしい方がいるなら辞退する心構えで事にあたりたいです。新規事業を成し遂げる胆力の育成においてはぼくは机で学ぶより、外に出て自ら異物を手に取り、感じ、時には火傷することが最高の勉強だと思っています。なので、今までやったことのない「0から作り、それが一人歩きし、継続させる」ということを実現させます。

次を担っていかないといけないのはもちろんだけど、後世にひとつでも多くの良い産業を残したいです。僕が生まれた時ってトヨタソニー松下電工など世界を圧巻する企業群が日本を牽引していて、非常に恵まれた環境にあったと思いますし、今の状態もそう思います。昔、ラオスに行った時に世界で通用する産業を持たない首都という現実を目の当たりにし、産業があるということがいかに恵まれたことなのだと思いました。昨今の日本人が幸せじゃないとか言われる人がいますが、十分幸せです。贅沢になりすぎだと思います。産業がないことが幸せでないとは思わないけど、世界的に優位に立つのは産業による競争力というのは不可欠だと思っています。

30代になったから根本的な志を変えるわけでないですが、未来を俯瞰してみるように努め、今、必要なことを地に足つけてやっていきたいと思います。謙虚な気持ちを常に持ち、みなさまの力になり、みなさまに助けられながら、泥水をすすり続ける経営者でありたいなと思います。

 

アメリカはニューヨーク州といってもすごい田舎の雪の降るロチェスター市からでした。40歳になった時も書きたいな。

フォードモーターの本社工場見学に行ったら凄まじかった話

フォード本社工場の見学に行ったら、いろいろおもしろかったので書きおこしておきます。ちなみにわたしは日本でトヨタさん、マツダさん、スバルさんの工場を見学させてもらったことがあります。かつてT型モデルで世界に大量生産システムを築き上げたフォード。そんな会社の本社工場を見れるのは本当に心躍る思いでした。

 

しかし、まず言っておきたいのは「現時点では、日本車に負けて当たり前」ってことです。

正直、フォード車を買いたいとはあの現場を見て思わなかったです。

 

1. 作業員の面

実際にフォード車を組み立てしている作業員は以下の通りでした。

  • 私服で作業(汚い服で出社しても作業に参加できちゃうの?)
  • 作業員同士しゃべってる(自分のやる作業のこと忘れない?)
  • 飯食ってる人が組立ライン内にいる(汚いし、車に食べ物落ちたらどうすんねん)
  • 作業員が飲み物飲んでる(これはいいか・・・よくわからん)
  • 音楽聴きながら作業(なんか問題起こっても音での異常確認できないでしょ)
  • 携帯電話を作業中に確認(本当に大切な確認しないといけないことがあるんでしょうね・・・)
  • 車の部品の入っている箱に自分のかばんを置く(いや、ロッカーに入れろよ)

こんなに作業員を自由にさせてしまうの?って皮肉にも思ってしまいましたが、これって労働組合が強すぎて長い時間をかけてこうなっていったんじゃないのかと思います。正直、経営層/現場管理者は作業員には作業に集中してもらいたいはずです。上記内容で作業能率が上がるとはとても思えませんでした。従業員満足を高めるのは良いのだけれど、「共に創る」と「甘やかす」は違うのではないでしょうか。

 

2. 工場の良いところ

工場は良いところは以下の通りありました。

  • 部品とかを運ぶトラックのエリアに人が入れないようになっていて従業員の安全性が担保されていた
  • 車の下で人が作業しながら、車を機械が検査するという効率の良い工程があった
  • 工場見学した人を楽しませてくれる仕組みがいろいろ
  • 部品の数が少なく、作業が複雑ではなさそう

 

3. 工場の悪いところ

正直、悪いところに目がいってしまいました。

  • ゴミがいたるところに落ちてる
  • 部品とかを運ぶトラックがUターンするとき、危うく、作業場に当たりそうに・・・
  • 問題があると作動するランプ(あんどん)が正常に作動していない

外部の人に見てもらう工場であるなら、最低限やるべきことがあるでしょう、って思ってしまいました。現状のレベルから最新技術を備えた設備を導入しても、基礎がしっかりしていないので、満足に最新技術の能力を発揮することができないのでは。

 

4. なぜ品質が担保されるのか

正直、工場見学をしている時に「フォードはどうやって品質を保証できているのか」「リコールってたくさん出てもおかしくないよな」ってことで頭がいっぱいになりました。以下これは私が思った要因3つを並べてみました。

  • 部品点数が少ないorだんご生産

f:id:matsuage:20181112025302j:plainまず最初は部品点数が少ないかだんご生産をすることにより、作業者のオペレーションを簡単にしているのではないかです。部品点数が少ないという点は例えば、日本車の場合、品質を求め、類似のネジでも10種類を使い分けていたとします。それをフォードは1つのネジですべてをまかなっていると仮定します。すると作業者は10個も使い分けする必要がなく、1個を取り付ければいいという単純作業に変わります。また、現場には日本の場合は10箱(10種類分)のネジを置き場を用意しないといけないところを、フォードは1箱分で済みます。またひとつのネジをたくさん作ることになるので、そのネジを大量生産することにより、安価なネジが供給され、結果、自動車製造の製造コストを下げます。

実際にフォードの現場を見た時に部品の種類が日本より少ない印象を受けました。それは上記のことが関係しているのではないでしょうか。もし、そうでないなら、フォードはだんご生産(たくさん同じ種類の車を一気につくる)を実施していると思います。だんご生産をすれば決められた時間、決められた1車種を製造すれば良いので、その車に使われる部品だけを現場に並べておけばいい。すると単純な現場に見える。ただ、欠点としては、完成車の在庫が溢れるので、在庫の山になる。この生産システムは土地がたくさんあるアメリカだからこそできる技だと思います。

  • ロバスト(頑健)性のある人に頼らない自動車設計

次にですが、自動車を設計する段階でパーフェクトな品質でなくても、ある程度の品質は一定量確保されているという設計を行なっているのではないかなと思いました。日本の車の品質が100だとしたらフォードは80をとり続ければいい、みたいな。だからネジも使いまわしても80をクリアできれば問題ない。また作業者に頼る設計は絶対に行わず、機械である程度担保される状態までもっていく。日本のように100を目指そうとすると作業者もそれこそ職人レベルの教育が必要ですが、「ある程度の品質」であれば完璧に集中しなくても製造できてしまう。

  • ロビー活動がとてつもなく強い

最後のロビー活動ですが、フォードが各国の要人たちとしっかりとした関係を築いているため、なにか大きな欠陥が見つかっても大事にされず、終わってしまっている。もしくは各国、力のあるアメリカの大手メーカーを叩くことは難しく、リコール級のことが起きても、力でねじ伏せられている。「トヨタ・バッシング」と言われた2009年に起こったアメリカでのプリウス大規模リコールも実は製造責任ではなかったのではないかということも言われていますが、あのような事態になったのもトヨタさん(というか日本?)のロビー活動が弱かったのではないかと言われるところがあります。世界的大企業フォードはこのような活動の意義をしっかり理解し、真摯に資金を投入しているのではないでしょうか。

 

5. 上記を踏まえて思うこと2点

  • 日本の製造は決して弱くなく、AI/IoT技術との共存を図るチャンス

アナログ世界において日本の生産プロセスは世界的に見ても抜きん出ていると思います。これからはAI/IoTの力により、マスカスタマイゼーションがますます加速すると言われていますが、まずはそもそも現場自体のレベルが低いとAI/IoTの技術を存分に発揮できないと思います。そういう点ではアナログ世界で上位にたっている日本はベースはすでに合格している。ではAI/IoTという観点を取り込んでいければ、圧倒的王者になることができるのではないでしょうか。

ぼくが好きな動画でAIを研究されている東京大学の松尾豊先生の動画があります。日本のものづくりがまだAIにより十分戦えることを示唆してくれており、とても勇気が出る動画です。時間があればぜひ。

www.youtube.com

また、日本は移民を未だ受け入れていない状態なので、まさに労働減少に対し、世界でいちばんおしりに火がついている状態ですので、AIを導入して、省人化が実現されればまさに一石二鳥。また移民を受け入れていないということは「日本の文化」「日本語」でオペレーションをする日本人でいろいろなことをこれからもやっていくので、利点としては「精度の高い意思疎通」が現場/技術部隊/経営陣で推し進められるということでもあります。

  • 品質を落とさずに、断捨離できないのか

「日本は品質過剰すぎるからもっと下げればいい」と言われますが、わたしはそうは思いません。「Made In Japan」は「良い品質」と認められているのは本当に誇り高きことであり、これからも推奨すべきだと思います。フォードミュージアムでも昔は「Made In Japan」は品質が悪いというレッテルを貼られていたけど、塗り替えたと紹介されていて嬉しく思いました。ただ、長年の現場改善により、今や無駄なルールさえもたくさん蓄積されてしまっていて、それらを運用することにより「過剰な管理」を強いられていることも確かかと思います。それらルールをもう一度ひとつひとつ丁寧に見直していって、クオリティを保つための最低限のルールで工場運営することはできないのでしょうか。「過去の偉人が築いたもの」を捨てるって相当な決断力が入りますが、ここまで世の中の技術が進歩した現在、あの時代では必要だったものが今や不必要になったというルールも多数あると思います。なにが不要でなにが必要かをAIが取捨選択してくれれば楽なんですが・・・。

 

P.S.

フォードの工場内で紹介ムービーを見てきたのですが、「第2次世界大戦は日本の爆撃により終了した」という意味合いであろうナレーションや動画が流れ、口には出さずとも「根底ではこういう風に思っている人たちはたくさんいるんだろうな」って思いました。他国同士仲良くできないなんて絶対に思わないし、できるに決まっていますが、歴史的文化の違いによる小さい局地的紛争をなくすことは難しいんでしょうね。

Nuzzelという身近な人の情報収集アプリが使える!

あまり日本では流行っていないようですが、Nuzzuleという情報収集アプリがとても使えます。

 

f:id:matsuage:20181103071509j:plain

「Nuzzel: News for Professionals」をApp Storeで

 

最近は新聞を見ることも少なくなってきて、NewsPicksとかスマートニュースとかYahooニュースで毎日の情報を集めている人も多いかと思います。

それらのアプリとNuzzelは何が違うの?

 

ズバリそれは「身の回りの人が興味を持っている情報を網羅できる」点です。

使い方はダウンロードした後、自分のTwitter,Facebook,LinkedInのアカウントをNuzzelに繋げます。すると繋がっている友人がシェアした記事を一覧で見れるようにしてくれるというもの。

 

正直、有名人がTwitterとかFacebookとかって情報収集に使えるって言ってたけど、近況報告とかちょっとしたつぶやきがメインになってしまっていて、ほしい情報が効率よく入手できない。そんなふうに思っていました。そんな悩みを解決してくれたアプリがNuzzelでこれにより一気に情報収集の生産性が上がりました。

身近な友達が興味を持っていることって意外と重要なことが隠れていたりするんで、これはオススメです。

技術経営の考え方

中小企業において他社との差別化を図るため、新規技術を用いて研究開発をし、新規製品を生み出そうとする(したい)企業が多数あるかと思います。

ただ、「世界でうちしかない技術」を手に入れたいっていうのは誰しも願うことですが、実際にそんなことはたやすいことではないことは明白です。現状のリソースに沿って研究開発から製品を市場まで持っていくことがわかっていないと、まず研究開発したことでさえも市場に出すことはできません。

そんな中、アメリカで発達した研究開発から市場に持っていくまでのプロセスをわかりやすく紹介した本がありましたので、紹介します。

f:id:matsuage:20181028095208j:plain

www.amazon.co.jp

これからの時代、既存産業がそのままうまく存続していくとも限りません。

そのためにも今のうちから試行錯誤して新しい軸を作っていくべきではないでしょうか。

もし設計開発技術を率いているリーダーや汗水流している担当者の方々は一読してみることをお勧めします。きっとなにかのヒントが得られると思います。

 

「量子論」を楽しむ本

来年から技術チームを先導して行くこととなり、今まで以上に自分自身が技術に精通する必要が出てきました。どうせなら数学・物理の原理原則から技術をしっかり身につけていきたいと思っています。

もともと数学や物理が好きだった自分にとってこれらを勉強することは快楽に似たものなのかもしれません。ただ高校卒業と同時に勉強を放置していた人間ですので、まずは自分の興味のある分野をとにかく片っ端から勉強していって、継続して行くことを第一に進めていきたいと思いました。

 

そんな中で最近、読んだこの本が科学技術の好奇心を燻る良い本かと思いました。

f:id:matsuage:20181001042430j:plain

www.amazon.co.jp

わたしたちをどんどん分解していくと最終的に素粒子や電子や原子というものになります。そういったものはどういう動きをしていてどんな性質があるのか。そんなことが専門家により歴史から現代への応用まで幅広く書かれています。

ただ、結論として「なんでこんな性質を持っているのかよくわからない」という科学者らしからぬ結論が導かれていて、そこにまだまだ人類が到達し得ない何かがあるように思わせられます。またそんな「よくわからない」状況でありながらも、それら性質の仮説を前提にさまざまな技術に近年、応用されています。例えば半導体半導体なんか今やどこにでも使われている技術なのにその根本はきちんと解明されていない(できない?)。

 

数学や物理にまったく自信のない自分でも楽しく読むことができました。それくらい一般の人向けにわかりやすく解説されています。

 

最近の事象としてプログラミングができればこの先問題ない、とか英語がしゃべれれば食いっぱぐれることはないとか、人脈が何より大事とか、いろいろ表面的な手法を大切にする傾向にあるかと思います。今に始まったことではないか・・・。

 

昔からのわたしの思考としては「なんでも根底を考え込む」ことが大切ではないかと思っています。すべて根本がわかっている上で思考することにより、頑健性のある思考が磨かれるとも思っていますし、応用も効きやすいのではないでしょうか。そんな中でこの本は「世の中の物質の根底を知るための第一歩」になるのではないでしょうか。

 

良い本は適宜紹介していきたいです。 

夏の2ヶ月、英語集中特訓講座の紹介(国際大学IEP)

短期集中で日本で英語を猛特訓したい!

でも自分の英語なんて全然自信ないし、海外短期留学とかハードル高そうだし...。

そんな人にオススメするのが新潟の国際大学というところで7月8月の約2ヶ月間で主催されるIEP(Intensive English Program:夏季英語集中講座)というコースです。

受講料は個人申し込みで50万円。企業派遣で100万円。(2018年現在)

https://www.iuj.ac.jp/language/english_course03.html

 

わたしは2017年にこのコースを受講しました。

国際大学という今にも聞きなれない大学名ですが、この大学は日本ではじめてすべての授業を英語で行うことを実施した大学院大学です。国際大学の学生の90%以上が外国人で、日本人は10%ほど。わたしは本校のMBAコースに入学する予定になっていたので、その前の2ヶ月間、IEPを受講して英語のレベルを上げようとしました。

f:id:matsuage:20180917062611j:plain

 

結論としては...「英語ぜんぜん自信ない人でも大満足!」です。

理由は下記の通りです。

①アジアを中心とした幅広い友達ネットワークが作れる。

②ノンネイティブスピーカー同士がネイティブスピーカーから英語で英語を学べる。

③とにかく英語漬け。朝から晩まで英語漬け。

ひとつひとつ説明していきますね!

 

①アジアを中心とした幅広い友達ネットワークが作れる。

これをまず挙げさせてもらったのは、本当の本当にこれが今の僕の財産になっているからです。このコースの大半はもちろん外国人です。外国人はアジアを中心とした様々な国から来ています。わたしのときはタイ・ベトナムミャンマーカンボジア・インドネシ・ウズベキスタンバングラディシュ・モンゴル・インド・キルギスタンスリランカなどなど本当に国際色豊かな人種の方々が来ていました。

それはそうとして、さらにすごいのが彼らはその国の将来を担うリーダー候補達なんです。IMFやJICAといったところから奨学金をもらい、日本に学びに来ている人たちで、その国の政府からとか中央銀行からとか大企業からとかとにかくすごいんです。

そんな彼らの英語はネイティブレベルに近く、最初はかなり驚きます。「こんな人たちがこんなぼくを相手にしてくれるの?」なんて思っていましたが、大丈夫!本当にいい人たちで英語を丁寧に教えてくれたり、もともと日本に興味があり日本に来ているので、いろいろ教えてほしいと言われたりします。

2ヶ月間、みっちり一緒に勉強するので、本当に仲良くなれます。IEPが終わった後も定期的に飲み会で都内であったりする仲です。こんな人たちと一気に仲良くなれるチャンスってなかなかないですよ?

f:id:matsuage:20180917062248j:plain

 

②ノンネイティブスピーカー同士がネイティブスピーカーから英語で英語を学べる。

さてこれから英語のお話。英語の授業はすべてネイティブの先生から教えてもらえます。なんかよくわからないですが、海外の有名大学出身の外人に英語を教える専門の先生がこのIEPのためだけに何人も来日します。もちろん授業はすべて英語。スピーキング/リスニング/ライティング/文法を徹底的に叩き込まれます。

わたしがこの4つの技能の中で特に「受講してよかったなぁ」って思ったのがスピーキングのコースでした。日本人て文法とかって意外と自分で勉強しますよね。でもスピーキングってあまり自ら勉強しないじゃないですか。だからまず授業初日は英語が出ない出ない!「あーそのーマイネームイズ・・・」みたいなもうわけわからない状態でのスタート。しかし、2ヶ月もするとブロークンイングリッシュですが、なんとなくスラスラと喋れるようになっているから驚き。わたしもなんとなくしゃべれるようになっていました。

授業を繰り広げていく中で発言は求められるし、プレゼンの講義もあったりします。もちろん英語でのプレゼン。そのプレゼンもやはり日本のやり方と西洋のやり方とは西洋プレゼン技術が習得できます。このプレゼンスキルは今でも十分に活きています。最初はなにもわからずプレゼンでしゃべることをただ丸暗記。表情も硬い。そんな感じでも最後はなんとなくプロっぽい喋り方でプレゼンできるようになります。

f:id:matsuage:20180917062341j:plain

 

③とにかく英語漬け。朝から晩まで英語漬け。

もう英語しかないです。受講生は基本、全員キャンパス内にある寮に住みます。一人部屋が確保されますが、寮内は外国人もごちゃまぜ。だから朝一歩部屋の外から外出た瞬間から英語での会話を要求されます。「グッモーニン。ハウアーユー?」最初は「うわぁまた今日もはじまったよ」って思ってましたが、最後らへんになってくると早くみんなに会いたい!早く朝になれ!くらいの勢いでした笑

また夜もみんなでパーティをして各国の料理を作って持ち寄ったりして英語でおしゃべりしながら場を楽しみます。また土日もなにかとイベントがあり、外人ととにかく交わります。わたしのときは近くの山(八海山)に登ったり、運動会をしたり、温泉に行ったり、川に行ったり。とにかく外国人と英語で絡む。

f:id:matsuage:20180917062516j:plain

 

以上です。なんか、とっても楽しそう!そうです!本当に楽しいです!
ただ、勉強はとてもえぐいです。僕はTOEIC600点くらいでこのコースを受講したのですが、毎日累計10時間は最低勉強してました...。ただ、絶対に楽しい!自分の英語の能力も上がるし、国際色豊かな友達できるし、イベントたくさんあるし!

 

これからのグローバル社会。日本の産業がシュリンクしていく可能性が大いにあるこの時代に外国人とコミュニケーションをとるのは必須かと思います。たった2ヶ月間、自己投資でこのコースに申し込んでみてもよいかもしれません。

 

*写真は国際大学のHPより

https://www.iuj.ac.jp

)